◆◇◆ どっちが親なの ◆◇◆

最後の1円まで罰金を支払わないと牢から出てこられません。マタイ5:26

子どものしつけは難しい。甘やかしすぎるとわがままな子に育つ。厳しくしすぎると萎縮させてします。
私が子どもの頃は、食卓でのしつけから始まったように思います。箸の持ち方。食卓でひじを突いてはいけない。あのおかず、このおかずと箸を動かしてはいけない。ごちそうさまと言ってから席を立つ、などなど。親の注意に従わないと、「はい、もういい。食べなくてもいい。向こうへ行きなさい」と審判が下ります。
子どもがダダをこねている。お母さんが何をして欲しいのと聞くと、アイスクリームが食べたいと言う。お母さんは早速買って手渡しました。今度はお母さんが子どもに聞いています、「お母さんも食べていい?」どっちが親なの?
聖書にはかなり厳しい話が書かれています。あたりまえのことですが、「人を殺してはいけない。人を殺す者は裁きを受けなければならない」(マタイ5:21)さらに「兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでも裁きを受けなければなりません」またさらに「兄弟に向かって能なし、ばか者と言う者はゲヘナ(地獄)へ投げ込まれます」(マタイ5:22)。厳しい警告です。
被害や中傷を受けた者が、裁判官に訴え、裁判官が牢に入れます(マタイ5:25)。この後に出てくる聖書のことばが上掲のことば(5:26)なのです。
聖書の神は「愛」の神です。でも罪を見逃し、甘やかしていると、人間の罪は広がっていき、甚大に被害を人々に与えることになります。神は愛のお方であると同時に聖なるお方、義なるお方です。ですから裁きが伴うのです。神は愛をもって人を赦そうとなさいます。しかし同時に義なるお方ですから、罪の支払う罰を見逃すわけにはいきません、そこで神はイエスを十字架に架けられたのです。裁きには1円の猶予もありません。真心からの徹底した悔い改めが求められます。
子どものしつけも、「ごめんなさい」は鍵のことばです。親は赦す心を持っています。でも子どもからの「ごめんなさい」も大切なポイントです。このことばを引き出すことが出来るようにしつけたいものです。

 赤坂教会牧師:姫井雅夫