節分と聖書

2月になると立春を迎える。今年は気温が低く、各地に雪をもたらした。鹿児島や沖縄まで雪が降った。珍しい。

立春には「節分」という行事がある。節分には「季節を分ける」という意味がある。江戸時代から立春の前の日を節分というらしい。大寒の最後の日にあたるようで、寒さがピークに達する。一般的には「福は内、鬼は外」と言いながら炒り大豆(福豆)を撒く。まさに迷信だが、撒かれた豆を年齢の数だけ(ある所では1つ多く)食べると厄除けになると言われているらしい。保育園や幼稚園では年中行事のようにして豆まきを行なっている。神社でも有名なタレントやスポーツ選手をゲストに招いて「豆まき」を行なっている。信仰と言うよりは、日本の文化、年中行事になっている。

聖書の中に、厄除けではないが、悪霊を追い出した記事が50ヶ所ぐらいある。イエスが弟子を派遣する時に、「福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威」を持たせた(マルコ3:14)。弟子たちは、「イエスの名によって」悪霊を追い出している。

さて、ここで問題になるのは、教会やクリスチャンが節分、豆まきをしても良いのだろうかということだ。日本宣教の困難さは、異教的風習や文化が日本人の心や生活に深くしみこんでいるという現実があることだ。これを排除するのか、それとも「文化」なのだから、信仰とは抵触しないと理解し、受け入れるのかだ。排除ばかりしていると、いつまでたっても日本人に福音を伝えることがむつかしくなる。豆まきが罪なのか、日本の文化として受け止めるのか。

教会では、イエスを救い主と信じた者だけの葬儀をするのか、亡くなった方が未信者であっても、葬儀は死んだ人のためにするというよりも遺族の慰めのためにするのだから、排除しないで受け止めるべきではないかとの意見がある。年間150万の方々が亡くなっている。排除しないで、慰めと福音を知っていただく機会にすべきではないか。

文化と信仰の課題を提起してみた。いかがお考えだろうか。

赤坂教会牧師:姫井雅夫
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